ごんぎつねの件、「書かれていないから死んだとは限らない」と判断するのは文章を正確に読んでいる証左で、行間を読めていないと批判するのはナンセンスと思うんですけど、どうなんですかね。「行間を読む」というのは、書かれてもいないことを自己判断で勝手に結論づける愚行では? 私はそう思っています。
行間を読むのは愚行と分かった上で、それを文学的嗜好と捉えて楽しむのは分かるんですけど、行間が読めていないから知性が低いと批判されるのは、批判する側の知性をむしろ疑わざるを得ないと思うんですよね。

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