小学生の時になぜだか単純に信じていた、「私が大人になる頃には差別も偏見も悪いことだと分かっている人が多数派だから、世界は今より良くなっている」というあの頃の気持ちが、今でも折に触れて蘇ってくる。
20年以上経ち世の中は闘った先人のおかげで変わったけれど、でも今も問題山積だし自分が死ぬまでに景色が全然変わらないんじゃないかと、子どもの頃のあの感覚が過ぎる度に辛くなる。(そもそも差別とはそういうものではないとはいえ)
こうして勝手に絶望することは絶対に良くないしむしろ害だしナイーヴすぎると分かってはいるけれど、でも日本も世界も日々起きていることがあまりに酷すぎて、気持ちが引っ張られてしまうよ……
20年以上経ち世の中は闘った先人のおかげで変わったけれど、でも今も問題山積だし自分が死ぬまでに景色が全然変わらないんじゃないかと、子どもの頃のあの感覚が過ぎる度に辛くなる。(そもそも差別とはそういうものではないとはいえ)
こうして勝手に絶望することは絶対に良くないしむしろ害だしナイーヴすぎると分かってはいるけれど、でも日本も世界も日々起きていることがあまりに酷すぎて、気持ちが引っ張られてしまうよ……
Comments
ショックと同時に、ドラマがそれらを「現在の社会にある問題」として描いていたから、「今はまだ差別があるけど、これからは変わるんだ」と希望を強く感じたことをハッキリ覚えてる。
子どもの私は「ドラマ視聴者=差別を悪と分かっている」と思っていたし、「この先は私たちが多数派になって世の中は良いほうへ変わる」と単純に考えていた。
そんなわけはなく、その考え方も間違っていたけれど、あの「未来は良くなる」と思った感覚だけは今も残ってふっと蘇る度に悲しい。