「熟議」は一見崇高な建前にみえるけれど、<賢人となり、クレバーな意思決定の達成しよう>という趣旨で使うのには限度がある。「熟議性民主主義」を巡る議論を僕が面白いなと思ったのは、それが「仕組み」の模索だったから。

一度いまあるリソースをテーブルにのせつつ、他者を否定しないという安心性を確保しながら、合意形成に時間をかける。これはある意味では、<速度>との向き直しであり、<場所>の再設計をしようという呼びかけだったと思う(余談だけど、加速主義という言葉は相当に誤用あるいは意味の拡散があるので、使うのは控えている)。

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