「猿の手」について、いろいろ考えていました。
ジェイコブズの「猿の手」では、猿の手の願いは本当に叶ったのか?(超自然的解釈)、全ては偶然だったのか?(現実的解釈)という問題に関しては、どちらとも解釈できるのですが、もう一つ大きな疑問点があって、それが願いの代償についてです。
願いが叶う際に、不幸な形での代償が発生しているのです。一つ目の願いの代償は息子が死んでしまうこと。二つ目の願いの代償は、息子が損壊した体のまま蘇ってしまうこと、でしょうか。それでは三つ目の願いの代償は何なのか?というのが疑問点なのです。
ジェイコブズの「猿の手」では、猿の手の願いは本当に叶ったのか?(超自然的解釈)、全ては偶然だったのか?(現実的解釈)という問題に関しては、どちらとも解釈できるのですが、もう一つ大きな疑問点があって、それが願いの代償についてです。
願いが叶う際に、不幸な形での代償が発生しているのです。一つ目の願いの代償は息子が死んでしまうこと。二つ目の願いの代償は、息子が損壊した体のまま蘇ってしまうこと、でしょうか。それでは三つ目の願いの代償は何なのか?というのが疑問点なのです。
Comments
https://note.com/shimalis/n/n6c9a80b8c039
三つ目の願いはセリフの形では明言されておらず、結果的に息子の蘇りをなかったことにしてくれ、もしくは二つ目の願いをなかったことにしてくれ、といったあたりではないかと予想がつく形にはなっています。ただ、結末での描写に、人気がなくなっていた、という表現があることから、
想像力豊かな解釈ですが、確かにそう取るのも可能な書き方ではありますよね。
猿の手の願いの叶え方は、願いを素直に叶えるのではなく、歪んだ形で叶える、というもの。代償というと、願いのスケールに応じた内容になりそうですが、実際願いに見合ったものとは思えません。むしろ損害とでもいうべきでしょうか。
一つ目の願いも二つ目の願いも、願い主に損害を与える形で願いは叶っています。とすれば、三つ目の願いに関しても、損害を与える形で叶っているのでは?とも考えられます。
もちろん勝手な想像で、作者はそういう意図はないとは思いますが、実際、死骸のまま息子が甦ってしまったとすると、その肉体を生前と同じ状態に戻してくれ、という願いはありではないかという気もします。