「分断」という言葉はけっこう要注意だな、と思うことが最近増えて、というのも社会の「分断」という状態そのもの(橋がないこと)を嘆いてみせることで、なぜか「分断」のそもそもの原因を作り出した奴(橋を燃やす人)の所業が有耶無耶になってしまうことってあるよなと思って。
大統領に就任した人間が初日からこの世のあらゆる「橋」を全力で燃やしにかかっている姿を目にして、なおのことそう思った。
https://bsky.app/profile/numagasa.bsky.social/post/3le7bd6c3js2s
町と町を隔てる川にかかった橋を、色々な人々が行き来していた。だがそれが気に食わない過激な人が、橋を燃やそうと火をつけた。周りの人が慌てて水をかけ、火を消し、放火犯を捕まえた。
一件落着と思いきや、放火犯に同調し、橋を燃やそうとする模倣犯が現れ続けた。一方、燃える橋に水をかける人や、放火犯を批判する人々も増えていく。
そんな中、
「"火派"と"水派"の対立は深刻だ」
「水派が火派に歩み寄ることも必要だ」
「自分を正しいと思い込み、批判してばかりの水派こそが、むしろ社会を分断している」といった言葉も飛び交い始める。
本当に社会を分断するのは、水でも批判でも対立でもなく、橋が焼け落ちることなのだが。

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