不祥事釈明に夜通し会見したテレビ局経営陣に同情するのを判官贔屓で説明する向きがあるが、むしろ逆ではないか。権力者に迫害された敗者にではなく、権力者自身が糾弾される状況に陥るとき彼らに同一化してしまう現象だからである。よって、正しく「佐殿贔屓」や「右大将贔屓」と呼ぶべきなのである。
いわば「佐殿贔屓」は判官贔屓のカウンターであり、弟を殺した権力者が非難されるのを見て、「現場」責任者の彼にはやむを得ぬ事情があったのだ、そもそも殺したのはデマだったのだ、など勝手に感情移入する構造になっている。本件に限らず近年の主流は明らかにこちらで、本来の判官贔屓は廃れている。
いわば「佐殿贔屓」は判官贔屓のカウンターであり、弟を殺した権力者が非難されるのを見て、「現場」責任者の彼にはやむを得ぬ事情があったのだ、そもそも殺したのはデマだったのだ、など勝手に感情移入する構造になっている。本件に限らず近年の主流は明らかにこちらで、本来の判官贔屓は廃れている。
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