建築現場の作業員の人が寺に来て、何事かと思ったら「現場で瓶に入った遺骨が出てきたので拝んでほしい」との事でとりあえず着替えて現場まで出向き読経をしてきた。
教育委員会にもお伺いを立てて江戸期のモノということなので改葬するのかなと思ったら、その場に残したまま続行という事で丁寧なんだか乱暴なんだかという話であったが
心情的に収まりが悪いので拝んで欲しいという姿を見て、やはり現代であっても葬祭儀礼に関わる問題が出てきた時に頼る先というのは選択肢が少ないものであるなと。
まぁ見ようによっては「お前、あの祠を壊したんか」亜種であり、やれ祟りだバチだなどは信じないと言いつつも……というヤツである
教育委員会にもお伺いを立てて江戸期のモノということなので改葬するのかなと思ったら、その場に残したまま続行という事で丁寧なんだか乱暴なんだかという話であったが
心情的に収まりが悪いので拝んで欲しいという姿を見て、やはり現代であっても葬祭儀礼に関わる問題が出てきた時に頼る先というのは選択肢が少ないものであるなと。
まぁ見ようによっては「お前、あの祠を壊したんか」亜種であり、やれ祟りだバチだなどは信じないと言いつつも……というヤツである
Comments
儀式・儀礼の占めるウェイトの方が圧倒的であり「教義を学んで信仰心を持つ」のみが宗教ではなく、日常の中で「こういうときはこうするもんである」という行動様式の中に深く根付いているものもまた宗教である
本当の無宗教であれば遺骨が出ようが無視するのが本義なので、まぁなかなかそこまで行くのは根性が必要な話でもある。
(住人でもない人が)飛び降りたそうなんですが、その旨知らせる管理組合からの通知は、「近くの神社にお祓いを依頼します」と続いてました。夜間閉門するわけにもいかない集合住宅の、だからといって何もせずとはいかない気持ちに折り合いを付ける役割として大事だなぁ…と実感するなどしたものです。