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jiinkant.bsky.social
高さと重さがカメックスと同じです。 Academic Book Editor (Shumpusha) / PhD Student, Social Anthropology and STS (Osaka Univ.), fieldworking in Hokkaido / Chef at home https://x.gd/6d2DZ [website] https://researchmap.jp/jiinkant [researchmap]
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「飛び級」ができる学問ジャンルとそうでないジャンルがあるということでもある。
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調査でお世話になっている人と、研究と「大人になる」ことについてお喋りしたことを引きずっている(ネガティブな意味ではない)
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こんなん「言ってスカッとする」以外に効能ないやろ。
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家のご飯が一番うまいなあ。道の駅で買ったジャガイモふかして2人で食べた。
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夜はだいぶ涼しい、ずっとこれでいい
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(個人的には人の多さよりも、あのせーんまくて長い・一通だらけの路地を車と人が共有していることのストレスのほうがかなりキツかったので、札幌きて道の広さによるノンストレスさを享受している)
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自分の住んでたところの近所にはスーパーが複数(4軒をよく利用していた)あって、通りには旅行客ばかりしか目に入らないのに路1本内側に入ると、チャリできた「地元住民」ふつうに買い物している、あの感じ。
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それにしてもこの論文、あまりにもおもしろい。結局漁師の裏切りによって翻訳のプロジェクトは破綻することのユーモア含めて、キレキレのモノグラフ。
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リンギス「侵入者」『何も共有していない者たちの共同体』野谷啓二訳、洛北出版.
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そういうとき、内容よりも形・形式を見ることになるんだよな。
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クスノキの香りがとけている空気のみずみずしさは、西日本だなと思いたい
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こういう議論は基本的に常識を資源にして話を進めているし、(内的な論の進め方に加えて)それでもって議論の良し悪しを評価していると思うが、それを実際どのようにやっているのかのメタアナリシス、知りたい。
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Budd, M. (1996). The Aesthetic Appreciation of Nature. British Journal of Aesthetics, 36(3). 自然の美的評価とは何か、それは自然を「自然そのものとして」評価することであると論じる。単に自然物から美的経験を得るのではなく、その対象が自然であるという認識が不可欠であり、芸術作品として捉えることとは区別される。 「自然として」応答するとは、その自然であるという事実に根差し、経験を深めることであり、生態学的知識などが経験を変容させうる可能性も指摘。
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「美しい夕焼けに科学は不要」といった批判に対し、より深く正確な評価のためには、知識が素朴な判断を修正し、豊かな美的経験をもたらしうると応答。
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Matthews, P. (2002). Scientific Knowledge and the Aesthetic Appreciation of Nature. 自然の美的評価における科学的知識の役割を擁護する論考。カールソンの認知的モデルを基に、科学的あるいは経験的知識が自然の「正しい」美的評価に貢献すると論じる。知識は単に情報を付加するのではなく、対象を知覚する際のカテゴリーとして機能し、それによって美的特性の現れ方自体が変わりうると指摘。 日常的な経験から科学的知見に至るまで、その対象の「標準的」な状態を認識することが美的評価の鍵となる。
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そしてこの話はウィンチによる社会科学と哲学の分割を大いに下敷きにしているということもようやくわかってきた。
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みなさんにおいてはどうあっても健康と幸せを願うというのが基本線ですよ。