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燗酒好き。ドラマ好き。アイコンは神田まつやの鍋焼きうどんです。ここのアカウントには、主に朝ドラと読んだ本のことについて投稿してます。フォローもフォロー解除もお気軽に、です。
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RPs 外へ外へと繋がる「縁」によって回る社会 家族の概念を広げ、外へ、とのご指摘になるほどなあって考える。 逆戻りじゃなくて、螺旋状に、韻を踏みながらも異なるやり方を探っていく社会か…
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システムも思想も、使う人の変化で変化させなくては。新しい時代の新しい思想を、私たちは手に入れていかなきゃいけないのだろうな、と、最近の世界情勢を見ながら強く思う。
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「家族」の話とは別で、 柿沼さんのしんどさについてはどこかで解決されるのだろうか、と思っているのだけど 学費問題(永吉/聖人の二者のものと思われた)問題の謝罪が、第三者である小松原さんから行われた展開を見ると 病院管理栄養士と委託会社の栄養士という二者の対立としてではなく、柿沼さん本人に患者さん自身からコミュニケーションが取られる必要性があるのかもしれないな。 (実際にそういうことがあるのかはわからないけど)
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永吉さんが結に話したご先祖様のホラ話、興味深かったのは、ご先祖様は、原住民ではなく外から糸島へやって来た人々だったという設定。 「土地を移動する」この物語らしい視点だなと感じた。 (そして、「移動」「変化」の物語の中で、佳代さんは糸島に住み続けると宣言する。) #朝ドラおむすび
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学費問題の謝罪はない(それは許されるものではないから。)けれど、聖人の理容師としての仕事・それはつまり聖人の歩んできた人生そのもの、を肯定する。 - 身体がつらい患者さんのちかちゃんは、生命のギリギリのタイミングで、母のお味噌汁を思い出し欲する。 - 「家族」って、理性的で倫理的できれいなものじゃないのではないか。もっと根源的で、もっと生命に結びついたもの… おむすび木曜回は、そういう、根源的で原始的で生命的な部分で親を欲すること、が描かれていたような気もする。 #朝ドラおむすび
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父と息子の物語。 歩と結という「ギャル」(物語における太陽のような存在)の不在と、「ギャル」と特筆されなくとも「大いなる女神的存在」であることを視聴者が共有している佳代さん・愛子さんの不在。 父と息子は、「太陽の塔」の下に行くのだな。父にとっての太陽、息子はその太陽を知らない。 「太陽」の不在とスサノオの物語。おむすびの芯の部分かもしれないともふと思う。
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SNSという、言語上の「繋がり」が席巻する世界において 物理的な・身体的な/それでいて即時的な「繋がり」の体感を実現させる手段としても、大きな「祭り」の必要性を感じるのかもしれない。
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万博、世代によって全然持ってるイメージが違いますよね。私は「万博って何がすごいんだろう?」という世代ですが 考えてみれば、高度経済成長期の日本(敗戦国、を共有していた時期)という場所で、世界の文化に触れられて、世界の人々が集い、未来を想うような科学技術が展示されていて、昂揚する体験だったのだろうなぁ、ということはとても理解できます。 オリンピックよりも、もっと個人的な体験に結びついているような気も。 社会や「国」に対して、何を思うか・何を期待するか、を反映するような気もしますねぇ。そういう意味でも、万博的価値観は、現代(現代、はとても難しい時代でもある)と齟齬を起こしているように感じます。
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「ギャル」は、物語においてアマテラスのような存在、闇を知る光、なのだとしたら、「何故スサノオは暴れるのか?」を炙り出す物語でもあるような気がする。前提とされる物語、の、前提の部分を解析してゆくような。
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「家族」とは?ということを、一方で、永吉さんと聖人さんで、一方で、「家」を出た夫婦である患者さんで同時に描くのであろう今週、物凄いな。 「家」に戻ることのできない、愛子さん(両親は亡くなっている)を母に持つ結が、「家族の元に戻る」話をするのは、やはり、「間違える主人公」であるよな、とも。 #朝ドラおむすび
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仕事!仕事!仕事に頭を切り替え!
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第一話で、蔦重が田沼の屋敷に潜り込むシーン。「和泉屋」三郎兵衛(田山涼成さん)について行ったのだよな、というのも思い出した。 関係ないかもしれないけどもとりあえず書いておく。
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だから私は、「ばーか!」とは簡単に言えないな。「ばーか!」を愉しむ鑑賞もできなくて。
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で、最初の「艶色真似ゑもん」なのですが 先に引用した「春画のからくり」(田中優子)に、この豆男は(西洋的な「覗き」のエロティシズムではなく)ある種のスパイスであり狂言回しである、というようなことを書いてあったのだけど、 私は今までの蔦重に同じような役割を感じていたのだよな。主人公だけれど、全てを外から眺めている。狂言回しのよう。 しかし(金々先生の、いやもっというと「栄華夢」の)「粟餅」を口にした蔦重は、ここから「物語」の内部のキャラクターになるのだと思う。これは史実的にも、物語の構成においても。 そしてそれが「夢」だとしても。 #大河べらぼう
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吉原は、もともとは日本橋葦屋町にあって、明暦の大火で浅草寺の北へ移転。(だから、吉原を「北国」と呼ぶこともある) - 鶴屋が語るような「吉原者」への偏見も勿論あるのだろうけれど 「悪所」への偏見というか、そうは言いつつも、みたいなものであるような気がするよなぁ。武士身分のお客さんも相手にしているわけで。 その部分を突いてくるから、忘八はそれを受けて(そう、言うなれば「分をわきまえて」だからこそ)キレるわけだよな。
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「性別も年齢も関係ない」という歩の普遍的なメッセージに収斂されてゆく、ナベベや聖人さんで描かれる物語には、「性別」や「年齢」という背景が必須なのだ。 「弱さの裏返しとしての強さ」、「その強さをいかに捨てるか」の文脈をなぞると、「性別も年齢も関係ない」というメッセージは、より強さを増す。 朝ドラおむすび
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あー。堀内栄治パパの息子への強権支配のずっと前に、渡辺孝雄さんの娘真紀への「ここ米田の家に来るな、ここの子と遊ぶな」と手を掴んで引っ張って帰るがあった。父親のままでナベベに変身したナベさんの回心がわかりやすくて忘れてた、変身前の闇堕ち状態。永吉ーナベさんー聖人ー堀内栄治の順に出てた #朝ドラおむすび
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「私」の本質、みたいな話ってとても近代的で(そもそも「私」とか「個」ってとても近代的)、天明文化の重要なキーワード「連」って、没「私」であるとも思うのだけれど、こういうことも描かれるのだろうか。現代人には、かなりわかりにくい感覚だと思うけれど。
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確かに。書いた内容は通ずるところがありますね。 ただ、天明期の人々は、疑うことが主軸にあるというよりも、単純な新しいものへの探究心が「(現存のものよりも)より緻密でより現実に近くより深い」という発見に繋がったのかなぁという感じもします。私が勝手に感じてるだけの話ですが。 ヨーロッパで起こっていたことが、(いわゆる「鎖国」状態だった)日本に、どれくらいどうやって伝わったのか、というのは、すごく興味深くて、知りたい話でもあります。(源内も、蘭学も、その流れのひとつの形だと思ってます)
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言葉(方言)が作る「私」について。「私」の複層性、積み上げられてゆくもの。方言によって、過去の「私」にアクセスできる、と、かつて書いたけれど (「神戸のこと」を語り出すには、歩には神戸の言葉が必要だったのだ、という文脈で) 聖人さんにおいては、年を重ね、「私」の地層が厚く厚くなったからこそ、その下に隠していた深い深い場所へ、潜ることができたのだろうな、ということだ。 隠してきたことすら、無意識であるような地点。 その時、言葉(方言)は、「語り出す」ために機能するのではない。全く普通のなんでもない日常の単語(「食べり」)が、特別な響きを以て「聞こえ」始めるのだな、と思う。 #朝ドラおむすび
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「食べり」という言葉が様々な場面やひとによって使われ、巡り巡って、「記号」として特別な(聖なる)意味を物語の中で持つ中 ここで、聖人さんに対して差し出される「(きっと佳代さんが常々かけていたであろう)食べり」が登場するの、すごいなぁ。 おむすびの登場人物たちが、方言を使い分ける(もしくは翔也のように、頑なに故郷の言葉を通す)、その意味が立ち上がってくる。 #朝ドラおむすび
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花の井改め瀬川の「男前」な言葉、彼女のゆく先と本心と重なってゆくのでは…と胸が痛くなってしまった。(予告も含め) 座頭金、高利で取り立てがめちゃくちゃ厳しい、というのは黄表紙にも描写されているのを何度か読んだ。