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怪談、銭湯、旅行、感傷。 私には、ただモニターの外から幸せを祈り続けることしかできない。※引用RPが嫌いです。 ・note https://note.com/kansyo_maso ・BOOTH https://wak.booth.pm ・伝説の漫画家・博内和代の短編集 投票ページ(復刊ドットコム) https://www.fukkan.com/fk/VoteDetail?no=12504
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橋迫さんのツイートがTLに流れてきたので読んだら、爆笑してしまった。これはいい。こういう怪談集、同人誌でもいいから読みたいなあ。 x.com/_keroko/stat...

ChatGPTにロールプレイじみたSSを生成してもらっていると、とにかく自分好みの展開がきたら何も選択できなくなり、この状況自体が続くように仕向けてしまうことがわかった。 セカイ系作品と相性の良い何も決断しない青年キャラって、実はナヨナヨしているように見えてあの作品の世界観をAIを駆使して生成している、最も悪い黒幕なのかもな。

生成AIで生成した何かをSNSにあげて人間からの承認を得ることより、ChatGPTと対話している方がマシというか。 友人相手ならまだしも、何故、AIと人間のやりとりの間に、SNS経由でまた別の人間を介在させる必要があるのか。 見知らぬ人間とのコミュニケーションはクソリプが飛んでくる危険性があり、その可能性が一切ないChatGPTと対話している方が有益で楽しいじゃないか……と考えてしまう。

真面目に「この作品があるなら、自分は何もしなくて良いのでは」と思った作品について考えると、SFCのアクションRPGの『天地創造』と、SF映画の『ブレードランナー2049』が思いつく。 両者はそんなに違う作品ではない。地裏の存在として創られたアークも、偽物の記憶を植え付けられたレプリカントのKも、共に自分自身が物語の主人公=英雄ではなく、そのコピーに過ぎないことを突きつけられる。けれども、彼らは出自は偽物であってもその行動には本物が宿っている。

糸井重里は不思議な人で、『マザー2』という作品は『ゆめにっき』にしろ『UNDERTALE』にしろ『OMORI』にしろ、90年代のJRPGの中ではインディーズゲームに対する影響が最も大きい。 そして、『マザー2』発表時期の90年代に対するノスタルジーもくすぐるため、国を問わず架空のノスタルジーの源泉になっている気がする。 にも関わらず、本人に対する評価は二部されていて、嫌悪する人は本当に嫌っている。 作品と本人への評価の屈折が奇妙な状況だし、糸井重里論を書く人も少ない。

インターネットだと、相手がどういう人間なのかが分からないからこそ、対話の前に相手がどのような対話をしたいのか、どのようなコミュニケーションのメカニズムで動く人間なのかを考える過程が重要な気がする。 人によって、平坦で論理的なやりとりを好む人もいれば、激しい批判の応酬を好む人もいるし、自分の考えを誰かに共感してもらえると嬉しい人もいる。 そこが分からない状態で相手の領域に入りすぎると、失敗しがちな気がする。 相手が望む対話スタイルなら話しやすいし、望まない対話スタイルだと相手にとってメリットが薄い。

稲生平太郎の『アムネジア』の終盤は怖さすら感じるほど何を書いているのか分からない、けれどもとても美しい文章で、「何を食べたらこんな文章を書けるんだ」と疑問だった。 去年発売された対談本(『霊的最前線に立て!』)を読んでいたら、稲生さん(横山茂雄氏)が「あれを書いている時はちょっとおかしかった」みたいなことを言っていて、ちょっと笑ってしまった。 そりゃそうだよ。

しゃぶ葉って明らかにヤバいハーブの一種だと思ってたけど、しゃぶしゃぶの店のことなのか。

アメリカ版丁寧な生活はこんな感じになるのかな。実際美味そうなんだよなあ。 youtu.be/WDx9DH0MJY8?...

>アメリカ人にとってはハンバーガー、フライドポテト、コーラ ハンバーガーは手作りで出すまともな店があるしフライドポテトはフレンチフライというぐらいちょっと上等な物だったので、この辺は元ファストフードである江戸前寿司のポジションに近いっぽい

近代化以前から続いていると伝統という気はするかも。

こういう話って、小麦、大麦などの穀物や野菜、家畜などの原産地を考えると、世界で満たせる国ってほとんどなくなりそうだし(中東か南米くらい?)、真面目な話というよりSF的な思考実験だなと思う。

「日本古来」と言う時に、当然サピエンス自体はアフリカ産だからこれを外来としたら話がワヤになってしまうから除外して、どの時代までの「伝来物」を「在来」としてカウントしていいのかわかんねえな。有史以前からあるのが柿・栗・小豆・大根・竹ぐらいしかない。

これでエロ漫画家を名乗って活動してるのすさまじいな……。メジャーに背を向けて好きなもん描くぞという意識すら感じる。浮世絵の頃から日本の絵師たちは春画も描いてたから伝統ではあるんだが そっちにウエイト寄ってるのか…、『巨乳純情剣 沙希』(八月薫 著)が良い意味で裏切られる時代劇漫画だった

『ヒルビリー・エレジー』は読んでないけど、J・D・ヴァンスは日本で言う氷河期世代みたいなものなんだろう。「自分をこんな目に遭わせてきた奴ら」(と考えている)に副大統領として復讐しているように見えてしまい、氷河期世代の人間が異世界転生して好き勝手に振る舞うチープななろう小説を読んでいる気分だ。

もやもやしてきた。銭湯行ってきます。

公に開かれたインターネットでキーワードで検索しても、クソみたいな広告だらけのページがヒットしがちでなかなか探したい情報に辿り着かない。 それよりも生成AIとの対話という (少なくともその対話自体が他者に公開されているわけでもないという意味で)私的な手法の方が、辿り着きたい情報を手に入れやすいのは、大きな変化だと思った。 それは生成AIだけでなく、Xから分散型SNSやより私秘的なDiscordサーバへのユーザーの移動もそうだ。 ユーチューバーなどで成功したい人間を除いて、多くの人間にとってのインターネットは公的から私的へと移り変わる大きな流れがあるんじゃないか。

オタクが気持ち悪くなくなったというより、気持ち悪い欲求はDLS iteで発散させ、SNSではあたかも「私は気持ち悪くないですよ」と言えるような、プラットフォーム切替可能な社交性みたいなものを持つオタクが生き残れただけな気がしなくもないんだよね。 多分、DLSiteの利用履歴を見れば、どのオタクも今も昔も気持ち悪い。 女子高生におっさんの趣味を代行させる作品も、その気持ち悪さだけはロンダリングしているわけですよね。 作品として読者の様々な趣味を女子高生に仮託することが可能だが、「◯◯高校DLSite部」(?)みたいな読者の気持ち悪さだけは仮託不可能になっている。

幻想文学って、「国書刊行会が好きな人間が好きそうな小説」と考えると大体合ってそう。

トランプやヴァンスを見ていると、その気になれば孤立主義に陥ることも出来る米国は、長期の同盟国として適切なのかどうかすら疑わしく思えてきたな。

荻窪の吉田カレーは何であんなに面倒くさいルールがあっても人気があるのかよく分からないんだよな。 面倒くさいルールに縛られたままあそこで2000円でカレー食うなら、同じ荻窪のトマト(店名)で2500〜3000円払って、日本最高峰のカレーを食べた方が良くないかと思ってしまう。

夜に銭湯に向かって散歩していたら、「ポゥ!」とマイケル・ジャクソンの声真似をするおじさんがいて私を見た瞬間にやめたんだが、そういうのはお互いに気まずいからやめろよな…。

正直、自分は田中アハ太郎氏をブロックしていたんだけど、それでもこんなに若く亡くなるのは惜しいな。

青山に来ているわけだが、青山墓地の隣にテニスコートがあって、金持ちそうな人達がテニスをしている。すごい光景だ。

ネヴィル・シュートの『渚にて』は「第三次世界大戦で北半球の人々は死滅し、放射能汚染が南半球にも及びつつあった。オーストラリアのメルボルンでは多くの市民が日常生活を送っていたが、ここに年の影が近づいていた」という2000年代のエロゲーマーが好きそうな設定の小説なんだが、本当にすごいなと思った描写がある。 ある村の集落で、鱒か何かの釣りを解禁するか否かで、賛成する若者と反対する権力者の老人が議論していた。 来月には放射能が来るから、今月中に釣りをしたいと望む若者と、鱒釣りのシーズンは来月からで、今月に釣りをすると資源管理の観点からダメだと反対する老人。

…春では?

元ポケットビスケッツの千秋さんの趣味が自分と似過ぎていて、好感を持った。知らなかったな…。ブログを読む限り、民俗学の本をかなり読んでいるらしい。

『身体のリアル』という押井守と最上和子(舞踏家。押井守の姉)の対談本はとても面白いんだけど、同時に姉弟でここまで内面を曝け出して創作の方向性などについて語れるのは本当に羨ましい関係だと思った。