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yumbo / 現実レコーズ / Genjitsu Films / 喫茶ホルン 【現実レコーズbase shop→ https://genjitsu.base.shop 】 【yumbo Bandcamp→ https://yumbo1.bandcamp.com 】
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Prolific Poster

今年の126本目は『The Virginian』を観た。西部の無骨な男そのものを体現するダスティン・ファーナムの風貌と体型は、後のジョージ・オブライエン的な物理的「大きさ」で東部の女ウィニフレッド・キングストンを圧倒し包み込む。現代では通用しなさそうなマッチョイズムに染み込ませた感傷に、ヒロインのみならず観客を安心させる効果があることを発見した当時の劇作家や映画製作者たちは、凄い金脈を発見したと小躍りしたに違いない。

売ったことを激しく後悔していたが買い戻せたもの、全く知らないバンドだがギャンブル的に買ってみたもの、間違って買ってしまったもの、友達に買いに行かせてしまったもの...今年の1〜2月に買ったレコード特集です。 note.com/koji_shibuya...

<from 現実レコーズ NEW!> 工藤夏海『記憶コイル』Picture Book + 7" Flexi Disc Ltd. 300 (maboroshi-06) 3月下旬発売予定 2023年の展示作品「柱絵八題」を、絵本と朗読音声収録のソノシートのセットでフィジカル化!英訳テキスト、ダウンロードコード封入。近日デジタル版を先行販売します。 朗読音声を提供して下さった皆様: 小森はるか 工藤冬里 安部朝美 原マスミ 井口淑子 細馬宏通 さや 山田参助

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今年の再見13本目は『ポセイドン・アドベンチャー』を観た。遭難パニック映画は子供の頃は大好きで、この映画も夢中で観たが、弱者や臆病者にハッパをかけながら生存のために突き進むジーン・ハックマンの強引さは子供心に苦手だった。しかし同時に、ボーグナインやシェリー・ウィンタース、ジャック・アルバートソンらの見事なアンサンブルの中でひときわ万華鏡のように複雑な光輝を放つハックマンの真に迫った姿があるからこそ、この映画の熱狂が今も続いているのだ。

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今年の再見12本目は『アリスの恋』を観た。そう思わない人が大勢居ることは承知で書かせてもらうが、これはいまだにスコセッシの最高傑作だと思う。役者たちの生き生きとした魅力はカサヴェテス的な演出法を志向したスコセッシなりの成果であり、それは監督としてというよりも、この話のための働き方だったのだと思う。スコセッシはこの映画に対して誠実さを貫いており、まるで勤勉な学生のようだ。

今日はハチクマの命日。

今年の125本目は『稲刈り』を観た。東京近郊らしいが、東北のどこかの農村にしか見えない。ヴェールが同じ時期に撮った名作『田に水を送る水車』のような快活さ(と言って良いのかどうか...)は無いが、粛々と作業に従事する農民たちの現実的な厳しさを残す意義も忘れてはいなかったということだろう。

今年の124本目は『レースからの帰り』を観た。横浜の競馬場から引き揚げる見物人たちを撮ったもの、という説があるようだ。人力車に涼しい顔をして乗っている外国人が何人か写っており、子供をおぶって、あるいは着物の前をはだけて闊歩している日本人たちとは別次元を生きているように見える。

今年の123本目は『日本の歌手』を観た。『日本舞踊:Ⅱ. 春雨』のついでに撮られたような映画だが、これもパフォーマーの少女とヴェールの信頼関係が伝わってくるような、親密な表情と柔らかな動きが非常に美しい。人物を「風物」や「エキゾチックな光景」として扱うのではなく、飽くまで個人として捉えようとしていたのではないだろうか。

今年の122本目は『日本舞踊:Ⅱ. 春雨』を観た。二人で軽ーく踊ってみせている感じがとてもいい。この手のパフォーマンスを撮ったものとしては、ジレルの映画と一見何も違わないのだが、ガブリエル・ヴェールには被写体の人物をリラックスさせる何がしかの技術があったに違いないと思わせるものがある。

今年の121本目は『日本舞踊:Ⅰ. かっぽれ』を観た。チャップリンの『サニーサイド』を思わせる白昼夢のような映像。扇子と一体になった少女たちの不思議な動きと、画面手前半分を占める池の水面のゆらめきが夢幻を誘う。

今年の120本目は『東京の鉄道駅』を観た。後ろの掘立て小屋みたいな粗末な建物が鉄道馬車の駅なのだろうか? しかし駅だけあって、タクシー(人力車)が多数行き交う様子を見ることができる。人々の表情は若干厳しそうで、既に東京人のストレスが見え隠れしているようだ。

今年の119本目は『東京の通りⅡ』を観た。「HATTORI」という時計店の看板、ガス灯、大きな乗合馬車など、19世紀末の銀座が活写されている。これも柴田常吉撮影説が有力らしいが、ジレルの映画と比べても遜色なく、良く撮れている。

今年の118本目は『東京の通りⅠ』を観た。「通り」というか、皇居前広場のようだ。珍しく洋装の紳士が写っており、さすがは東京という感じがする。これは柴田常吉撮影説が有力らしく、リュミエールのデータベースにもそのように記載されている。

今年の117本目は『神社の出口』を観た。北野天満宮の楼門前らしい。現在は外国人観光客で賑わっているのだと思うが、19世紀末は町の立派なランドマークとして、着物の日本人が行き来する場として機能していたことが分かる。『工場の出口』のような準備や演出は無かったのだろう、人々の動きや様子は自然そのものだ。

今年の116本目は『踊り子:扇踊り』を観た。これは何かの祭礼の一幕だろうか、謎の映像だ。画面いっぱいに居並び犇く人々がこちらを見据えながら団扇を手にして歌っている。堂々とした表情の女性、内気そうな少女、ほっかむりの男、撮影装置が気になる少年...などバラエティに富んだキャラクターの同居。

今年の115本目は『日本の俳優:男の踊り』を観た。これは五穀豊穣祈願やお祓いの踊り「三番叟(さんばそう)」らしい。特徴的なデザインの大きな帽子で道化めいた動きを披露する踊り手はなかなかの色男だが、リュミエールではこのような芸人もまた異国の風物や景色と同等の扱いだったのだろう、残念ながら誰なのか分からないようだ。

今年の114本目は『日本の芝居の一場面』を観た。この5人の役者によるパフォーマンスは歌舞伎における「暗闘(だんまり)」と呼ばれるものらしい。特徴的な登場人物たちの滑稽みのある動きのコンビネーションの輪舞はどこかファンタジックだ。

今年の113本目は『日本の剣術』を観た。かなり大雑把で遊びに近い状態の剣道の稽古。後ろで見守る大人の笑顔や、一所懸命太鼓を打つ坊主と法螺貝の男の二人組の存在が微笑ましい。少年たちの動きは統制されておらずメチャクチャなので、ジレルはからかわれたのかもしれない。

今年の112本目は『蝦夷のアイヌⅡ』を観た。長い髪と髭を風になびかせながら美しい柄の着物で優雅に踊る男たちを捉えた『蝦夷のアイヌⅠ』に比べると、女たちの着物は地味で、踊りも素朴かつワイルドな躍動感がある。この人たちは撮影後にシネマトグラフの上映を観ただろうか。

今年の111本目は『日本の踊り子』を観た。京都のようだ。非常に若い芸妓8人が二列に並んでいるパフォーマンス。ベテランの姐さん方は映画などという気味の悪いものに身を晒すのははしたないということで、勉強中の彼女らが駆り出されたのではないか...というような想像が働く映像だ。

今年の110本目は『神道の行列』を観た。祭礼の幟や唐櫃よりも、沿道で見物したり駆け回る子供たちの夢みるような表情や動きに惹きつけられる。行列に参加している子供たちの中には洋風の帽子を被っている者がいてとても可愛らしい。

今年の109本目は『東京の通り』を観た。横浜で撮られたという説もあるらしい。画面奥からやってきて横向きに止まる人力車は計画的な仕込みかもしれないが、じゃれ合いながらカメラの前に出てくる少年たちは偶然かもしれない。現在では考えられないほど広い道幅を、人々が自由に行き来している様子が羨ましい。

今年の108本目は『京都の橋』を観た。京都は常に美しく活気に満ちている。着物に洋傘の通行人たち。自分の指を舐めながらジレルとシネマトグラフを凝視する少女。駆けてくる元気な野良犬。橋を渡る人力車。何度観てもあちこちに発見がある。

今年の107本目は『港での荷下ろし』を観た。横浜の港で魚の山を背景に行商人が行き交う。洋風の帽子に着物といういでたちが当時の日本人の男たちのスタンダードだったようだ。ほっかむりをして重そうな荷物をしょいこで背負っている行商人や、同じく荷を背負わされた馬が横切り、運ばれる生活の重さが伝わる。

今年の106本目は『日本の宴会』を観た。女たちが男たちに奉仕する酒席の光景をDîner japonaisと定義するのは、明治時代の時点であればあながち間違っていないが、正確には「主賓の男をコンパニオンの女たちが囲む酒席」である。男は見苦しく破顔し、女たちは緊張して事務的に振る舞っている。

今年の105本目は『列車の到着』を観た。撮影場所は名古屋のようだ。ホームにシネマトグラフを設置して操作しているコンスタン・ジレルを訝しそうに見つめる少年の半開きの唇が、実に日本的だ。車窓から頭を出して挨拶する様子が可愛らしい。

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今年の104本目は『When Lovers Part』を観た。娘の恋愛に激昂する父と、仲を引き裂かれて気絶する娘、という図はこの時代の映画に繰り返し現れるドラマであり、何が面白いのかはさっぱり分からないが、心を最大限に寛容にして想像するならば、シナリオライターでもあるゴンティエが自らの華麗なる気絶をカメラの前で披露したかったのだろうという事で、現代では茶番として片付けられる芝居に大真面目に取り組む姿は決して嫌いではない。

今年の103本目は『The Lad from Old Ireland』を観た。アメリカで着々と成り上がっていく男と、淋しさと貧困にあえぐ女とその家族。男を故郷に引き戻す手紙が差出人不明であることや、船上のジャンプカットで登場する幻の女は、平凡な語り口の映画の中に煌めく星のようで効果的だ。何より、男と女が監督とシナリオライターであることに惹かれる。

<告知強化週間> 仙台でのソロは今年初。ちょっとあり得ないメンツ! 3月2日 (日) at 仙台 BARTAKE 「FINAL AUDIENCE」 open / start 19:00 / 19:30 door only ¥2500(+1d) LIVE: DESTROMO a.k.a 大野雅彦(SOLMANIA) 澁谷浩次(yumbo) 炎 Not Nice AKBK DJ: B.Toriyama heykazma

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今年の102本目は『The Girl Spy: An Incident of the Civil War』を観た。カーレム・カンパニーの初期の映画で、ジーン・ゴンティエなる役者が自らシナリオを書き、南軍のために命懸けでスパイ活動をする少女を熱演している。要するに、カーレムにおける政治的女性アクション描写は、アリス・ジョイスに始まったことではなかったのだ。

今年の101本目は『Slim Jim’s Last Chance』を観た。前科者への偏見のために社会復帰がままならない男たちの物語の中で、アリス・ジョイスはあまりする事が無いのだが、善人の中にある事勿れ主義的な怠慢、悪人の中にある他者と関係をもつことへの渇望をさりげなく描いた西部の小噺としては悪くない。先住民の急襲は唐突な感じがするし、カーレムらしくないという不満は残るが。

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今年の100本目は『The Hero Track Walker』を観た。1911年の西部劇に、先住民と女性が英雄的な行動を起こし、要領の悪い白人男を救うという、反マッチョ的な感覚を見出すのは決して珍しいことではない。むしろ、1911年にもなればこのぐらいは当然、という事なのかもしれない。ここでもアリス・ジョイスが体を張って事態を収拾する役割を担う。

キャンセルが1名ありました。入場希望の方は、澁谷携帯メール [email protected] へご連絡ください。14時まではお受けできます。

今年の99本目は『Mexican Filibusters』を観た。親革命軍のスタンスを前面に打ち出したカーレム・カンパニーの実録政治アクションで、裏切り者の密告を暴き、武器弾薬を無事に越境させるために活躍するアリス・ジョイス。泥臭さと情熱を支える根底からの怒りが、険しい表情から垣間見える。

キャンセルが1名ありました。入場希望の方は、澁谷携帯メール [email protected] へご連絡ください。14時まではお受けできます。

本日、sekifuがこの街にやって来るので、今からソワソワしています。予約満席となっており、当日券販売の予定はありません。ご来場の皆様はお気をつけてお越しください!